春に咲く桜を観賞することは「お花見」といいますが、秋の紅葉は紅葉見やお葉見とはいわず「紅葉狩り」といいます。花や葉を観賞することは同じなのに、なぜ桜は「見」で紅葉は「狩り」なのでしょうか。
紅葉狩りの「狩り」とは?
昔から狩りという言葉は獣を捕まえる意味で使われていたのですが、だんだんと鳥や動物を捕まえる時にも使うようになり、いつしかイチゴ狩りやキノコ狩りやブドウ狩りのように果実を採る時にも使うようになりました。
このように本来、狩りという言葉には(山や海などに行って)何かを採ってくるという意味があります。この意味から考えると紅葉狩りは山に行って紅葉を採ってくるということになりますよね。
しかし古語辞典によりますと、狩りには花・木・草・蛍などを求めてとったり観賞したりすること。桜・紅葉・蛍などの語の下に濁音化して接尾語的に用いる、とあります。このことから観賞することも狩りという意味のひとつとなっています。
紅葉狩りの語源
古語辞典に書いてあった「桜・紅葉・蛍などの語の下に濁音化して接尾語的に用いる」についてなのですが、紅葉狩りと蛍狩りは現在でも使います。しかし桜に対して「桜狩り」という言葉は使わず「お花見」といいます。
しかし昔は桜狩りという言葉がありました。
桜狩りについて
現在は桜を観賞することは「お花見」といいますが、昔は桜狩りという言葉を使っていました。
仁明天皇(第54代天皇・在位833年~850年)は安全上、滅多なことで外出することができず、山に桜を見に行くこともできなかったので貴族が採ってきた桜を御所でご覧になるだけでした。しかし834年に清水寺に出かけた際に近くの山で桜を見る機会があり、あまりの美しさに御所に桜を植えさせたそうです。
これを機に貴族たちも自分の家の庭に桜を植えたので、山に行かずとも桜を見ることができるようになり、桜狩りが必要ではなくなったことから「花見」という言葉を使うようになったということです。
桜を植えるためにそれまで植えていた梅を抜いたということもあったらしく、奈良時代末期に成立されたとされる最古の和歌集である万葉集では梅の歌は118首で桜の歌は44首だったのに対し、平安時代中期の勅撰和歌集である古今和歌集では梅の歌が18首しかないのに桜の歌は70首になっています。このことから考えると平安時代には梅に代わって桜を愛でる人が増えたということかもしれません。
モミジとカエデの違い
「モミジ」のことを「カエデ」と言ったり、また逆に「カエデ」を「モミジ」と言ったりします。ということはモミジ=カエデになるのでしょうか。
モミジはムクロジ科(旧カエデ科)カエデ属で、カエデもムクロジ科(旧カエデ科)カエデ属です。そう、モミジはカエデです。分類としては同じなのですが見た目でモミジとカエデを分けており、葉の切れ込みの深いカエデを「モミジ」葉の切れ込みの浅いカエデを「カエデ」と呼んでいます。
でもモミジとカエデの名前にはそれぞれ別の由来があります。
ところで紅葉には赤だけでなく黄色もありますが、どのようなことで色が変わるのでしょうか。
赤色になる葉と黄色になる葉
葉には緑色の色素(クロロフィル)と黄色の色素(カロテノイド)が含まれています。
赤色になる葉
緑色の色素が分解されるのと並行して赤い色素(アントシアニン)が合成されます。赤い色素が増えてくると葉の色が赤く見えてきます。
黄色になる葉
気温が下がってくると緑の色素が分解されて少なくなり、黄色の色素だけが残るために葉が黄色になります。
黄色くなる木の代表はイチョウ、赤くなる木の代表はイロハモミジでしょうか。イロハモミジのように赤く色付くことを紅葉、イチョウが黄色くなることを黄葉といい、読み方はどちらも「こうよう」です。
黄色でもなく赤でもない茶色のような色になる木があります。例えばブナですが、ブナのように茶色っぽくなる木はタンニンが増えることであのような色になります。このような葉を褐葉(かつよう)といいます。
紅葉しかけの1本の木を見てみると上の方だけ赤くなっているのを目にします。これは夜露や霜の影響を受ける部分から紅葉し始めるからです。
紅葉シーズンにはいろいろな色の葉を楽しんでくださいね。