NFD1級に合格したのち、単位などの条件が整えば講師新規登録講習会に参加申し込みができます。
いよいよNFD講師へ登録です。
講師新規登録講習会での勉強
試験のときと同じようにカーネーションを使った勉強でしたが、ひと言でいうと、よくわかりました。手順やコツに関しても、なるほどと思えるような内容で、あっという間に過ぎたような気がします。
そうして最後の時間に
前に先生方が並ばれ、ひとりずつ名前を呼ばれてNFD講師登録証を頂きに行きます。
その前の時間のレッスンまで、先生方は私たちを呼ぶ際には○○さん、と呼んでいらしたのですが、その瞬間から変わりました。普通に名前を呼ばれるのだと思っていた私は、一番最初の人が呼ばれた時、気持ちが引き締まりました。
○○先生
このように呼ばれたのです。その瞬間から先生と呼ばれる立場になったのだと感じたのを覚えています。ようやくこれで終わりであって始まりの時。ここからが新たな勉強の始まりですね。長かったような短かったような、感慨深い気持ちでした。
その後、12月にあったフラワー装飾技能士の終了の会の時に、私をNFD1級試験に誘ってくれた男性から連絡がありました。
今度はフラワーデザイナー資格検定試験審査員試験を受けようよ!
今度は検定試験の審査員資格を取る?しかしさすがにそれは断りました。やってみようかという気持ちも5%くらいはあったのですが、やはり私は花屋なので、そこまでの資格は不要かなと思った次第です。
資格取得後の私
花の資格を取ってみようと思っている人へ(花の資格1)で登場した「こちらのアレンジメントが気に入りましたので教えて下さい」と言ってきた人が、私にとって初めての生徒になりました。
その人が自分のお友達を連れてきてくれて、またその人がというように生徒が増えていきました。ここでアレンジ教室をしてるの?といって入会してくれた人もいます。
でも自分がやってきて思うのですが、花って楽しく生けたいですよね。けっして泣きながらするものじゃない。ですから、お茶やお菓子などを用意したり、終わったあと皆でスイーツを食べに行ったりするような和気藹々とした、”花を楽しもうよ”っていうコースしかしていませんでした。
そんな教室を知ってくださったのか、自治会の単発の講習会や、年単位の講習会、会社の福利厚生での講習会など、あちこちに顔を出させていただきました。
そのような講習会の時に、必ずアシスタントとして同行してくれたのは最初に生徒になってくれた彼女でした。
そんなある時、その彼女がこのように言ってきたのです。
私もアシスタントをするにあたって、なにか資格を取りたい。
結局、彼女はアシスタントをしてくれていたその時点での年数などを考慮し、2級フラワー装飾技能士を受験することに決定して、1年後無事に合格してくれました。
でもその指導は私がやったのですが、常日頃の、のんびりとしたアレンジメントのレッスンとは異なり
あかん!できてへん!やりなおし!もう一回やん!
このような言葉を言い続けていたので、たまにフッと我に返って、これって自分が言われたようなことを言ってるよね。先生って合格させるために必死になるとこうなるんやねぇと苦笑したことを覚えています。
そして現在
店がインターネット主体での販売になった時、アレンジメント教室は解散しました。別の教室に行った人もおられるし、そのまま趣味として自分で楽しんでいる人もいらっしゃると思います。
私はといえば、最低でも1年に1度は花のデモンストレーションを見に行ったり、今の流行の花デザインに触れることができる講習会に参加しています。
フラワーデザイナーやフラワー装飾技能士を目指している人もいらっしゃることでしょう。
花の資格を目指している人、頑張って下さい。応援しています。
数回に渡った記事が、資格取得の際のなにかのお役に立てればいいなと思っています。
そして資格より花を純粋に楽しみたいと思っていらっしゃる方は、私たち花屋より花文化を支えてくださる大切な方々です。存分に花を楽しんで毎日をお送りください。
資格試験を通して感じたこと
フラワー装飾技能士やNFDの勉強をして一番身についたのは、サイズ感覚だと思います。例えば横幅30cmのアレンジメントを作ってほしいと言われれば、目検討で30cm±1cm程度で作れるようになりました。これは同じアレンジメントを沢山作る時にかなり役に立ちます。
そして私の場合は、慢性炎症性脱髄性多発神経炎という難病を患ったあと、ちょうど1年後から資格取得のための勉強を始めたためか、花の資格を取得できた嬉しさも当然ありますが、それ以上に自分の体力に自信がつきました。
資格試験に挑戦しなかったら、私は病気だったのだからという気持ちで消極的に仕事をしていたかもしれません。でも挑戦したことで、やればできるという気持ちになり強くなったように感じました。
病気の再発の可能性はあるといわれていますが、現在まで再発することなく元気に暮らしています。